急がばまわれ

 著者:ここぽんさん

深い緑に包まれた美しい森。その深い緑よりも、さらに深い静寂。小さな足音が、それを破った。
ガサガサガサーッ!!小鳥が飛び立ち、無数の木の葉が舞い落ちる。
「こらーーー!!!」
小さい足音はビクッと止まった。
「どうしてお前は、そうワンパクなんだ?見ろ、動物達が逃げてしまったじゃないか。」
まだ喋れない小さな足音の主は、申し訳なさそうにうつむいた。
「よちよち歩きだからって、手加減はしないぞ。」
美しい森に、お尻を叩く音が威勢良くこだました。

「ここに来て、何年経っただろうか。この森で産声を上げたお前も、今では毎日外を駆け回っている。もっとも、大半はイタズラでだが。」
レオナは、返事をするはずのない息子に向かって、一人つぶやいた。
「スー、ピー、スー、ピー…」
少しテンポの早い寝息が聞こえる。
「喉が渇くな…」
明かりを点けるのが面倒に感じたので、忍び歩きで台所に向かう。汲み置きの水を一口飲む。…冷たい。もう、そんな季節なのか…。
「馬鹿はカゼひかないとは言うが…高いところが苦手な以上、それほど馬鹿でもないのだろう…どうか、カゼをひかないようにな…」
このつぶやきは、息子に向けられた物ではなかった。名も知らぬ異郷にいる最愛の人物に、であった。
水を飲み終え、ベッドに戻ったレオナはギョッとした。寝ていたはずの息子が、目を開けていたからである。幼い息子はパッチリと目を開け、窓の外を見つめている。
「そうか…お前にも、分かるか。」
「そうだ、明日はお父さんが帰ってくる日だぞ。」
机の上の手紙に目をやった。もっとも、暗くて見えなかったが。汚れた、薄っぺらな封筒が何ともあいつらしい。そう、あいつが帰ってくる。嬉しい。だが…この胸苦しさは何だ…。

「私達なら心配ない。頑張れよ!」
胸を張り、両手を腰に当て、努めてハキハキと言い放った。寂しそうな顔はしなかったつもりだ。いつだって。涙など、もってのほか。背中が、森に隠れて見えなくなるまで見送る。お互い、一度も振り返らない。
あいつが旅に戻る度、繰り返されてきた儀式。自分でも思うほど…何というか淡白だ。なのに…それなのに、あいつは…。
「必ず帰ってくるんだな…。」
また、胸が痛む。
寝付けず、何度もレオナは寝返りをうっていた。
「そうか、帰ってくるのか…。」
昼間の疲れからか、やがて眠りに落ちた。

そして、レオナは夢を見た。眩い光が辺りを照らす。
「何だ眩しいな…ピピカ村じゃあるまいし…(寝付きが悪かったので、ご機嫌ナナメ)」
しかしその金色は、偽りの黄金郷のような卑しい輝きではなく、真に…
「神々しい…としか言い様がないな…」
光はやがて一点に集まりだし、形を作っていった。レオナが一度まばたきをした後には、すでに大きな人型になっていた。
「誰だ…お前は…?」
叡知を湛えた豊かな髭。質素だが、威厳に満ちた輝く王冠。歴戦の全てを織り込んだような長いマント。
全てが、騎士の王たるに相応しい。
「我が名は……キングナイト」
キングナイト…どこかで聞いた…というか、耳にタコが出来るほどあいつが口にした名ではないか!
「なっ…何?」
なぜ、私のところに?
「我が剣を求めし者…」
「………!!?」
剣…その一言を聞いたとたん、頭に血が上った!
「ばっ…ばかやろう、剣を探してるのは私じゃない!」
「私なんかのところに出て来やがって…どうして、あいつのところに出て来てやらないんだっ…!!」
「我を“ばかやろう”呼ばわりとは、なかなか威勢の良いご婦人だな…」
金色に輝くその顔が、心なしか微笑んだように見えた。
「うっ……す、すまない…つい、カッとなって…でも、なぜ…」
「今のあの男は、我の導きを必要とはしておらん。あの男は、随分強くなった…。導きが必要なのは、そなたの方だ。」
「…何?」
導く…私を…私が迷っているとでも…私は、何に迷っている…?
「どういう意味だ…」
「あの男は…」
「…白騎士が、どうかしたのかっ!?」
「明日、無事に帰るだろう…」
「…ズコッ!!…な、なんだそれは!!?単なる目出度い話じゃないか!」
「目出度いか?」
「あっ…当たり前だろう!…私はいつだって白っ………ン…ま、まあいい(赤面)。」
「本当に目出度いか、と聞いておる。」
「…な、何がだ!」
「あの男は旅路から帰る。それが目出度いか?」
「私が帰れ、と言ったんじゃないぞ…あいつが勝手に帰ってくるんだ!」
「あの男は、旅路からお前達の元へ帰る。」
「…何が言いたい!」
「帰るためには、何をしなければならない?」
「か、…帰る…ため…に?」
「旅立つ時と同じ方を向いたまま、帰れる者があるだろうか?…背中を向けたまま、お前の夫は帰ってくるのか?」
「……!」
そ…そうだ、ようやく分かった。自分の胸苦しさの理由が。
この、胸の痛み…。
「帰るためには…」
「引き返さなければ…ならない。」
キングナイトの剣?なぜ、そんな物を求めるのか。正直、私には分からない。分からないが、…分かる。求める物を追いかける、その気持ち。なんとしても手に入れて欲しい。追いかけて欲しい。だから、別れの背中を見ても、私は泣かない。いつだって、胸を張って送り出してきたんだ。次は見つかるといいな。次こそ見つかるさ。冒険をしているのは、あいつだけじゃないんだ。私も、共にワクワクし、共に落胆し、また共に立ち上がるんだ。だから…だから…。
「あの男は、明日帰る。」
「…だ、駄目だ!!」

行く時は、背中を向けていたあいつが、にこやかな顔をこちらに向けて…帰って来る!!私だって、きっと笑顔になっているんだろう。だが…だが、
「振り返るな、白騎士…前を向け!!」
それでも、あいつは笑顔で帰って来る!両手を大きく広げ、私を呼ぶ!
「お前の求めている物が、その先にあるかも知れないじゃないかっ…!」
飛び込んだ広い胸の温かみ、鎧を通しても十分伝わってくる。私は、抗えない。
「よく…帰ってきた…」
でも…
「なぜ…帰ってきた…」
あいつが帰る度、私は怖くなる。くるりとマントを翻した、その一歩先に…彼の求める物があったとしたら!!
「そんな…嫌だ、白騎士!…私は、私は…お前の邪魔にはなりたくないんだ…!…だから、振り返らないで……」
会いたい!素直な気持ちを言えば、そうなる。そしてそれと同じく、足かせになりたくない…そんな気持ちもある。どちらも、お前を愛しているからだ…。
「あの男は旅路から引き返し、お前達の元へ帰る。…だが、」
…わずかの間、沈黙が続いた。
「…だが、それでも…我の元へ近づいている。」

夢は続いた。その時間は、とても一夜とは思えないほど、長く感じられた。
「…どういうことだ…?」
キングナイトの謎かけのような言葉を前に、私は立ちすくんだ。
「言ったであろう、あの男は“無事”に帰ると。」
「無事じゃなくてたまるか!…謎々は遊びだけにしてくれ…。」
「“無事”に帰るが、危険が無かったという訳ではない。あの男が帰ったら、剣の刃こぼれを見ておくのだな。」
「少しくらいの危険に臆する男ではないぞ!…私が、一番良く知っている。」
「いかなる危険にも…か?」
「そうだ!!あいつは、勇気ある男だ!何があろうと、恐れる事はない!!」
「それが、命を奪うほどの物であってもか?」
ゾクリ。
「い、命を…?」
「あの男は、不死身ではないぞ。」
忘れていた。どれだけ強かろうと、どれだけ勇気があろうと…。生き物は、死ぬのだ。幼い頃から、たくさんの動物達の死に立会い、命の儚さ、そして尊さを知った。どんな小さな虫達も、どんな大きな獣たちも…。だが、あいつは私の中では無敵だった。あいつの強さが、勇気が、私から死の概念を取り払った。私の中では、永遠の存在だった。だが、現実は違う!あいつの、鎧の中の人間らしさを知っているのも、この私ではないか!!リンゴを剥くのに失敗して、指を切ったのを見たことがある。ベッドの飛び出た釘に引っ掛けて、太ももに傷跡を残したことも。
「そなたは知るまいが、あの男は、以前と変わった。」
「以前…?」
「今の彼には、目標が二つあるのだ。」
「な…」
「一つは、我が剣を得ること…」
それは分かりきっている。耳にタコだ。
「も、もう一つは…?」
「もう一つは、…生きて帰ることだ。」
「帰るのが、…目標なのか…?」
「そうだ。」
帰ることが……?
「私達の元へ…?」
「以前の彼には、“帰る”という意識が無かった。我が剣を手にしさえすれば、その日に果てても悔いはない、と言わんばかりの目をしていた。」
「…そして実際、何度も死に瀕した。」
「…無茶な奴だ…」
「だが、今は違う。我が剣得られぬ時は、そなたと悲しみを分かち合い、そして…もし、いつか我が剣を得ること叶えば、そなたと喜びを分かち合うつもりでいる。」
「……。」
「自分の力量を見極め、決して無茶はせぬ。彼は、初めて真剣に自分の力と向き合ったのだ。それも全て、そなた達の元へ帰るために。…分かるか?」
「……。」
「我は、我が剣を屍に与えるつもりはない!」
「…!!」
「無鉄砲と真の勇気は、全く異なるものだ。我は、真の勇気ある者に剣を手にして欲しい。自分の力、自分の弱さを見つめる勇気もない無鉄砲な男に…ではなく。」
「真の勇気…」
「そなたは、あの男の“真の勇気”だ。」
「わ、私は…そんな…」
「我の元へ辿り着くには、まだまだ長い旅が必要だろう。だが、確実に我の元へ近づいている。」
「私は…」
「そなた…という道を通って………」
私は…道…足かせではなく…あいつの…白騎士の…真の……勇気……。

…太陽が眩しい。だが、見ていた夢の眩さから比べれば、薄暗くさえ感じる。レオナは起き上がった。
「やたらと眩しい夢だったが…はて、どんな夢だったかな…?」
遠くポポロクロイスの城下町の方から、学校の始業のベルが聞こえる。
「…!!」
「もう、こんな時間か!くだらない事を考えている場合じゃないぞ!!だって…今日は…」
小さな息子は、呼応するようにキラキラした目を、私に向けた。
「…と…うちゃん」
そう、お前の父ちゃんが…って、
「うおおっっ!!!…喋ったぁぁぁーーーー!!!」
目出度いことは、重なるものだ!そうか、遂にお前も・・・
「………。」
「一発で終わりかっ!まったく…誰に似て愛想がないんだ。」
「まあまあ、じきにこのムッツリさが懐かしくなるくらい喋りだすでゴザルよ。」
「そ、そうか…?…なら、いいんだが…」
「……。」
「んーーーーー…?」
「…あっ…ただいまでゴザ…」
「挨拶は…入る前に言えーーーーーー!!!」(しつけバッチリ)

食卓が、白い湯気で覆われる。3人分の食器が嬉しい。ほんわか、湯気まで3人分だ。
「今日のゴハンはっ!カレーでゴザルぞーー♪」
「さも、自分が作ったような顔で食わせるな!まったく…。」
どっちにしろ飯はうまい…といった顔の息子。のん気なものだ。まったく、誰に似たのやら。
「…それで、でゴザルな…」
「ああ。」
来たか…。胸が、張り裂けそうだ。
「ガミガミに出くわしたでゴザルよ。奴め、性懲りもなく…」
「ガミガミは、割とどうでもいいぞ(キッパリ)。」
…どうでもいい、は言い過ぎたか?いや、ほら、そうじゃないだろう…。
「そのぅ〜〜〜」
ちょっと、イライラ。
「……また…み、見つからなかったんで…ゴザルよ…。」
「…そうか。」
自分からは、絶対に結果を問いたださない。向こうが言い出すのを、必ず待つ。レオナなりの、気遣いだった。
「それより白…お前、怪我なんかしてこなかっただろうな…?」
「バッチリ、五体満足でゴザルぞ。」
鎧のブーツ部分を外しにかかる白騎士。(しかも、ブーツ)
「見せんでいいっ…見せんで!!」
食事中だし…。(しかも、ブーツ)
「せ、拙者が怪我すると…そのぅ…お、怒られるでゴザルから…」
「し、白…」
「ずっと前、足折って帰った時は、もう散々でゴザったぞ…!“足を折った”と言っているにも関わらず、“正座”でお説教を…!ああっ…あれ以来、拙者、石橋を叩いて渡るがごとく…」
「……まだ覚えていたか…。意外とみみっちいな。」
「石橋を叩いて無事に渡ったものの…その後、調子に乗って丸太橋も叩き、川に落ちたでゴザル。」
「…そこまでアホだと、逆に惚れ直すぞ…白…って、いつから夫婦漫才に!」
「いやはや、困ったものでゴザルよ。」
「そんなに嫌なら、帰って来なくていいんだぞ!」
「むぅ〜〜〜〜〜」
「…あっ……。」
イ、今のは、言葉の…
「冗談キツいでゴザルなー。ハッハッハ!!!」
「…ああ、良かった。本気にしたかと思ったぞ!ハハハハハ!!!」
二人の笑い声が頭の上を飛び交うと、手に持っていた子供用スプーンを振りかざして、
「はっはっは」
と、マルコも笑った。ご飯粒が、口からこぼれる。それを拭いながら、白騎士は満足げに肯いた。
「うむ!冗談でも何でもよいから、人の喜び、人の悲しみが分かる人間になるでゴザルぞ!!」
たまに帰ったと思えば、すぐ父親風を吹かせる。悪い癖だ。
「皆が笑う時は、笑いを分かち合うでゴザル。皆が泣く時は、涙を分かち合うでゴザル。とても、大切なことでゴザルよ。マルコも早く、そういう仲間を見つけるでゴザル!」
ご飯粒を拭いたハンカチを、柄にもなく綺麗にたたんで、息子の頭をくしゃっとなでた。
「一人でがむしゃらに走ったとて、意外に前には進まぬものでゴザル…。」
始めは、息子に諭すような口調だったのが、少し弱々しさを帯びてきた。そして、ささやくように…
「…自分の弱さを、知るでゴザル。」
自分の…弱さ。自分の弱さか…。レオナは、長いまつ毛をゆっくりと閉じた。
そして、再び目を開けた時には、心配そうな4つの丸い目が、自分をのぞきこんでいた。
「………あ…」
彼が剣を手にするまで、私は決して泣かぬと決めた。なのに、なのに…涙が頬を伝っていた。涙を分かち合う、なんて言った手前で…。マルコがつられて泣きやしないか…と心配になって、急いで涙を拭いた。だが、マルコは泣かなかった。そうか、分かるか。
「…マルコ、偉いぞ。そうだ、涙には…悲しくない涙もあるんだぞ。」
「100点だ、マルコ!…だが、さっきご飯粒こぼしたのは、行儀が悪い。だから、差し引き0点だ。」
「またでゴザルか!!マルコは0点王でゴザルな!」
「ハハハハハ!」
「ハッハッハ!!」
「…?……はははははっ」
3人の笑い声が、家中に響いた。こぼれたご飯粒も、3人分だ。

幾日かが過ぎ、白騎士は再び旅立ちの日を迎えた。優しい手つきでマントを着せてやりながら、レオナは思った。
「このマントも、随分と貫禄がでてきたな。」
「大分長い間、同じマントでゴザルからなあ…新調した方がいいでゴザろうか…?」
「いや、この方がカッコイイぞ。」
照れて、頭を掻く白騎士。下がった目尻に、笑いジワが出来る。やはり、少し歳をとったな…。だが、貫禄がある。その姿が、誰かと重なる。…誰かは、思い出せなかったが。
「お前…髭なんか伸ばしたら、意外と似合うかもしれないぞ。」
「そんなジジ臭い事、やってられないでゴザルよ〜」
「何言ってんだ、いつまでも若いと思ってるのは、自分だけ…」
「…今日は、よく喋るでゴザルなあ。」
「そ、そうか…?」
…いつもこんなもんじゃないのか…?そうか…いつもは、もっとムスッとしていたかもしれないな…。いつもは、無理して胸を張って。いつもは、無理して涙をこらえて。だって、素直な気持ちを表す“勇気”が無かったんだ。自分の弱さを知るのが、怖くて。
「いやいや、自然でいいでゴザルよ。いつもは、何だかお通夜みたいでゴザったからなあ。」
そういって微笑む彼の顔は、金色の光の中で見た笑顔にどことなく似ていた。目がかすむ。眩しさで。いや……涙で…。
「本当は…少し…寂しい」
「…分かってるでゴザルよ…済まぬでゴザルなあ…」
手が震える。
「だが、キングナイトの剣は、見つけて来い!」
「…………。」
白騎士…!
「お前なら、いつか必ずやれる。だから、それまで…」
「必ず、帰るでゴザルよ…」
庭木に水をやってしまったのが、悔しく感じた。今なら、私の涙でよかったのに。それくらい、私は泣いていた。
「白騎士…私も、探してる物が…あるんだ…。」
「………。」
暖かい沈黙が、嬉しかった。
「…では、行ってくるでゴザル!」
「…ああ、行け、白騎士!!」
必ず…帰るんだぞ…!

背中が、深い緑の中へ消えてゆく。さらに深い静寂が、レオナを包み込む。
「必ず…必ず、見つけよう!」
拳を、握り締める。
「私達の、探している物を…」
ガサガサガサ…
「ん?何だ…」
「実を言うと、拙者も寂しいでゴザル。あと一日くらいいてもバチは当たらぬと…」
「えーーーーーーーい!!さっさと行けーーーーーーーーーーーーー!!!」
美しい森に、ビンタの音が、威勢良くこだました。